Riverside Walk and Mind-wandering

台風の余波

 スピードの大変遅い台風10号の影響で、すでに災害が発生し、さらに東海と関東でも大雨が降っている。

 台風の余波で、青森県でも今日は雨が降った。日中に雨が止んだので、散歩に出た。行き先は決めなかった。市街地の比較的交通量がある道路の歩道をまっすぐ歩いた。途中で道路脇の植え込みに咲いている花に眼が止まり、写真を撮った。

十和田市街地で撮影。2024.8.31

 そのまま歩き家から少し離れたスーパーまで歩いたが、気温は約26℃で湿度は99%もあった。すでに4,000歩以上も歩いていたので、蒸し暑さが身体にこたえた。地元産の野菜がとても新鮮だったので数点購入し、帰りは市内の循環バスを利用することにした。帰る途中、また雨が降り出した。

 なんでもない散歩だが、いろいろと考えるともなく考えつつ歩いている。遅い台風の被害がすでに出ているので、そのことが気に掛かる。それからウクライナの戦争の被害やガザの現状について、心の深いところでつねに思いを馳せている。自分自身の生活上の事柄についてももちろん考える。ただ外を歩いていると、この街から遠く離れていても同じ空の下で生活している日本と世界の普通の人たちのことを思わずにはいられない。ペットが死んだだけでも、大変な苦しみを味わうのが人間だ。多くの死ぬ必要のない人が毎日死んでいくことを思うと、わたしなりにとても苦しい。自分では何もすることができないので、ただ歩きながら思いを馳せて祈るともなく祈っているのかもしれない。

 

日々の散歩 Daily Walk

 天気がよければ、散歩に出ることにしている。街を流れる川沿いを歩いたり、市街地を歩いたりする。

 歩きながらときどき路傍の草木に眼を留める。季節によって草花や樹木の様子は変化するので、飽きることがない。ときどき深呼吸をしたり、ふと空を見上げたりする。空は常に変化しており、同じ空を見ることはない。青空であっても、青の色合いがじつにさまざまに変わる。雨上がりの後の早朝の青空など、眼も覚めるような深い輝きを持っていることがある。もしかしたら、ギリシアの空もこんなふうに深く輝いているのではないかと、行ったことがないので勝手に想像したりする。

 散歩をしながら、よくスマホで写真を撮ることにしている。わたしのスマホには15,000枚近い写真が保存されている。その大半は散歩のときなどの風景写真だ。

 散歩をしながら、いろいろなことをぼんやりと考える。意識的に何かを考えたりすることはしない。けれども景色を見ながら歩いているうちに、自然と心に浮かんでくることをいつのまにか考えていたりする。同じテーマにとくにこだわることもなく、歩いているうちに、気づくと路傍の花の美しさの方に心が奪われてしまい、それまでの思考がどこかへ消えてしまう。

 いろいろなことをぼんやりと思い巡らすことを、心理学ではマンドワンダリングと呼ぶようである。マインドワンダリングが心理学のテーマとして研究されていることは、比較的最近ある本を手にして知った1

 これから散歩の時の随想をブログとして書いていこうと思う。散歩の随想の持つマンドワンダリングとしての意味合いについて、時折触れることができれば、と願っている。

 十和田市官庁街通りで撮影。2024.8.21

 

  1. モシェ・バー(著),横澤一彦(翻訳) (2023)『マンイドワンダリング:さまよう心が育む創造性』勁草書房 ↩︎