朝露、三題

 昼頃から雨が降るというので、ゴミ出しに出た後、散歩に出た。朝露の降りた花と葉はとても美しい。

朝ゴミ出しの時官舎のフェンスにて撮影。十和田市、2024.9.2 8:00.
十和田市官庁街通り 2024.9.2. 8:51.
十和田市官庁街通り 2024.9.2. 8:52.

 ドイツの社会と政治について、ほとんど何も具体的にフォローして来なかった。しかし、ドイツの選挙で”極右”政党が躍進したというニュースには、やはり胸騒ぎと不安を覚える。何が起こっているのか学んで行かなければと、心中で深く反省する。移民や難民を受け入れることの難しさをほとんど何も知らない一日本人であるわたしだが、これは単に遠い国のことだから自分には関係がない、などと言っていて済まされる時代ではなくってきている。

 朝露の美しさに眼を奪われながらも、この現実の世界で時々刻々と起こっている、我々人間社会の問題を覚えずにはいられない。

日々の散歩 Daily Walk

 天気がよければ、散歩に出ることにしている。街を流れる川沿いを歩いたり、市街地を歩いたりする。

 歩きながらときどき路傍の草木に眼を留める。季節によって草花や樹木の様子は変化するので、飽きることがない。ときどき深呼吸をしたり、ふと空を見上げたりする。空は常に変化しており、同じ空を見ることはない。青空であっても、青の色合いがじつにさまざまに変わる。雨上がりの後の早朝の青空など、眼も覚めるような深い輝きを持っていることがある。もしかしたら、ギリシアの空もこんなふうに深く輝いているのではないかと、行ったことがないので勝手に想像したりする。

 散歩をしながら、よくスマホで写真を撮ることにしている。わたしのスマホには15,000枚近い写真が保存されている。その大半は散歩のときなどの風景写真だ。

 散歩をしながら、いろいろなことをぼんやりと考える。意識的に何かを考えたりすることはしない。けれども景色を見ながら歩いているうちに、自然と心に浮かんでくることをいつのまにか考えていたりする。同じテーマにとくにこだわることもなく、歩いているうちに、気づくと路傍の花の美しさの方に心が奪われてしまい、それまでの思考がどこかへ消えてしまう。

 いろいろなことをぼんやりと思い巡らすことを、心理学ではマンドワンダリングと呼ぶようである。マインドワンダリングが心理学のテーマとして研究されていることは、比較的最近ある本を手にして知った1

 これから散歩の時の随想をブログとして書いていこうと思う。散歩の随想の持つマンドワンダリングとしての意味合いについて、時折触れることができれば、と願っている。

 十和田市官庁街通りで撮影。2024.8.21

 

  1. モシェ・バー(著),横澤一彦(翻訳) (2023)『マンイドワンダリング:さまよう心が育む創造性』勁草書房 ↩︎