午後になってから散歩に出た。 ・・・ 空。 秋の空は美しい。 高い梢の間から見上げる空には、どこか懐かしさを覚える。たぶん子供のころにも同じようにして、よく空を見上げていたのだ。
官庁街通りの歩道を流れる稲生川を覗いて見ると、川底に空が見えた。無限に広がる大空が小さな人工河川である稲生川の浅い川底に映っている。まるで大空と小さく細やかな流れが、無言のうちに光によって交信し合っているかのようだ。無限の宇宙と小さな河川の呼応と響応。 ・・・ あたかも存在すること、生命が存在すること、すなわちこの地球に生命が存在することの本来の在り方が、じつは大空と宇宙と小さな地球との呼応であり響応なのだということを、密かに告知しているように想われてくる。 なぜ人間だけがお互いに呼応することそして響応することの意味を見失ってしまったのか?
図書館で休んで、枕草子の現代語訳をパラパラとめくり、この歳になってやっとそのよさに目覚めた日本の古典文学にもっと触れなければと考えた。 夕刻になった通りに出て少し歩き、ちょうど西日が梢の間から溢れてきて背後から射している数頭の馬の像を見た。美しい。
さらに陽が落ちると、もう半袖では寒くなってきた。この十和田市ですらあまりに暑かった季節が、終わろうとしている。