1、2年前に山野草の盆栽をもらった。もらった時は、あまり元気な盆栽ではなかった。それをほとんど手入れもせず庭に置いておいた。すると冬を越し、いつの間にか元気になっていた。もう夏も過ぎ、盆栽自体はしだいに秋の風情へと移りかけていたが、昨日ふと見ると、小さな枝にキアゲハの幼虫が2匹いるのに気づいた。セリ科の植物の葉が好きだそうで、「にんじん畑の貴婦人」と呼ばれるほど美しい幼虫だ。庭ではあまり除草剤などは使わず、できるだけ自然のままにしておくようにしていた。いつの間にかキアゲハが卵を産みつけていたのだろう。
出会いは人生の楽しみというより、むしろ人生そのものだ。子供のころ住んでいた家では、じつにさまざまな生き物との出会いがあった。もっと幼いころ住んでいた別の場所では、地域全体が、その時代ということももちろんあったが、自然の豊かさに満ち満ちていた。夏の夜、裏庭の外のせせらぎから蛍が何匹も舞って来て、窓を開け放した家の中へ入ってきた。それを蚊帳の中に入れて、緩やかに点滅する蛍の光に魅了されていた。そのころは、人との関わりももちろん濃密で、つねに出会いがあった。
自分の住んでいる場所で、その地域の盛大な祭りを歩いて観にいくといういわばレトロな経験を、今日という日に、今ここで経験することになるとは、予想しなかった。
町内会で秋祭りに参加するということで、そのお手伝いをほんの少しだけ、昨日(9月6日)させていただいた。夜慰労会に行くと、今日(9月7日土曜日)の夜の山車のパレードが一番見ものだから、ぜひ観た方がよいと強く勧められた。それで始めて、本腰で夕方暗くなりかけるのを待って、妻と二人で夜の十和田市秋祭りを観に行った。
次第に暗くなってくると、多くの壮麗な山車が子供たちと若者たちによって引かれ、掛け声を伴った元気よい十和田囃子と太鼓車の上の力強い太鼓の演奏が響き渡った。広くまっすぐな大通りである十和田市官庁街通りには、数えきれないほどの夜店が並び、ライトアップされた広い歩道やその近くに陣取って見物する人、夜店の前を歩きながら見物する人たちで、たいへんな賑わいだった。
歌謡曲の歌詞とはまったく違う意味だが、出会いはスローモーションである。70歳を過ぎて、貴婦人のようなキアゲハの幼虫と自分の家の庭で出会うとは思わなかった。また、自分の住む街で、こんなに盛大な祭りを妻と共に観ることになるとは思わなかった。それはまったく新しい経験なのに、一種の不思議なレトロ感に満ちていた。
あたかも過去と現在と未来が、SF作品の中で融合したかのような光景が、現実のこととして眼の前にあった。そして、自分が過去と出会ったのか、それとも未来と出会ったのか分からなくなるような祝祭的時空の眩惑の中で、まるで時がスローモーションのようにゆっくりと流れて行くのを感じていた。